機械

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少年宇宙シリーズ」に登場する自動人形たちは、まず、徹底的に「機械」である。この「機械」という言葉が何を意味しているのかは、実は極めて難しい問題である。19世紀末において、F.ルーローは「力に対して抵抗力のある物体の組合せであり、各部分は所定の相対運動を行う」「人間に有用な仕事を行う」という定義を与えた。現代では、この定義によらない機械が多数存在している(エレクトロニクスを用いた機械においては、各種部品が力に対する動作、つまり機械的動作をする必要がない)ため、「物理量を変形したり伝達したりするもので、人間に有用なもの」というような定義に発展した。

読み/正式名称/種別/掲載作品

きかい【機械】《少年宇宙シリーズ》

コメント

  • 現在、私達が持っている「世界に対する意識」は、意識する遥か以前に、この「機械」の存在を前提にしている。我々は、物理法則というものの存在を仮定しているけれども、この「自然法則がこの私達の生きる世界に適用できる」という考え方自体が、そもそも「時計」という機械が出てきたことにより生まれた考え方なのである。世界を、「時計」をモデルに考えてみよう。この「時計」という機械が生まれるまでには様々な紆余曲折があるが、16世紀後半にガリレオ・ガリレイによる振り子の等時性の発見があり、1659年のホイヘンスによる振り子時計の完成によって、十分な精度を持つ「時計機械」が完成したというものが基本的な流れである。この「時計機械」は、「部品」と「力の伝達」から成立しており、それらの部品の間には一つの「秩序=法則」が存在しており(振り子時計においては、振り子の等時性、という法則を基礎に動いている)、結果として「時間」という秩序が時計の針によって表示されている。これを自然にあてはめてみると、「自然」の中には、「部品」と「力」があり、それらの間には「法則」が働いていて、最終的に「秩序」が生まれる、というシナリオを仮定することが可能である。このモデルでは、「自然」を「ルールによって動く部品の集合」と捉えている。これは、デカルトの思想であった。そして、ガリレオ・ガリレイを起源とする「動力学と自然法則による近代科学モデル」は、ニュートンが万有引力の法則を発見し古典力学を成立させた時点で、完成する。以降、我々は意識せずに、世界を機械として見ている。この視点は、現代において、人間の神経系をブラックボックスとして見て研究するサイバネティックスや、生命を分子の運動として研究する分子生物学の確立により、「生命」すら機械とする世界観にまで到達したのである。この、全てを機械として扱う画一性は批判される場合も多いが、これは、神秘主義を徹底的に解体するために、つまり、我々が近代的理性を持つために必要なことであった。そして、最終的に私達は、「自分たちの意識」を機械化することが可能なのか?という問いに至る。人間の意識は、つまり「魂」は、機械なのだろうか。これこそが、「少年宇宙シリーズ」の根底で、問われているものなのである。(たてにょん